雨が窓ガラスを叩き、雷が空を引き裂いていたあの夜、松尾は薄暗い部屋で何気なく手に取った古い本に目を通していた。その本は「幻の紫の蝶」と題された、古風な表紙の一冊だった。本の中には、かつてこの街に実在したとされる、美しくも神秘的な紫の蝶に関する記述がびっしりと詰まっていた。
紫の蝶は、その美しさとは裏腹に、不吉な伝説を持っていた。それは、「紫の蝶が飛び交う場所は、災いが訪れる」というものだった。しかし、不思議なことに、その紫の蝶はこの街のどこを探しても見つけることができなかった。だからこそ、人々は紫の蝶を「幻の蝶」と呼び、その存在を恐れながらも興味津々としていた。
本を読み終えた松尾は、窓から外を見ると、何とも言えない気持ちで胸が締めつけられた。外を見ると、街灯の光に照らされて、紫色の蝶がひとつ、ふたつと舞っていたのだ。それはまるで本に書かれていた紫の蝶そのものだった。
松尾の心は恐怖と興奮で満ちていた。彼はこの一見美しい光景が、本に書かれていた伝説通りに災いをもたらすのか、それとも単なる偶然なのかを確かめるために、自宅を出て紫の蝶の飛び交う街へと足を運んだ。
雨が松尾の体を濡らしても、彼の足は止まらなかった。紫の蝶が舞う先へと進む松尾の目の前に、古びた神社が現れた。神社の前には、紫の蝶が数多く舞っていた。
松尾は神社の前で立ち止まり、ふと足元を見ると、小さな石碑があった。その石碑には、「紫の蝶の神社」と刻まれていた。その瞬間、雷が鳴り響き、恐怖に襲われた。
…
恐怖に襲われた松尾だったが、彼の好奇心は恐怖を上回った。彼は神社の扉を開けて中に入った。中は古びてはいたが、なんとも言えない神秘的な雰囲気が漂っていた。その中心には、紫の蝶が描かれた大きな祭壇が鎮座していた。
祭壇の前には、古びた絵画が飾られていた。その絵画には、紫の蝶を崇める人々と、その中心で祈りを捧げる神官が描かれていた。神官の顔は見えなかったが、その姿は威厳に満ちていた。
絵画を見つめる松尾の目に飛び込んできたのは、絵画の隅に小さく描かれた紫の蝶だった。その蝶は紫の光を放ちながら、まるで動き出すかのように描かれていた。
松尾はその絵画に魅せられ、手を伸ばして触れようとしたその瞬間、神社の中に強い風が吹き込み、絵画は地面に落ち、裏側が見えるようになった。
地面に落ちた絵画の裏側には、古代の文字で何かが書かれていた。松尾はそれを読むために絵画を拾い上げ、頭を傾げてそれを見つめた。
「紫の蝶を守りし者、祈りし者に災厄は訪れず。だが、彼らが忘れ、蝶を怖れしとき、蝶は災厄をもたらす。それは紫の蝶が人々に忘れられないよう、また、人々が蝶の美しさと恐怖を共に心に留めておくための試練である…」
言葉を読み終えた松尾の心は、混乱と安堵でいっぱいだった。しかし、その言葉が本当なら、この街に災厄は訪れないはずだった。なぜなら、彼は紫の蝶を恐れず、その美しさを心に留めていたからだ。
しかし、不安は松尾の心から消えなかった
…
不安を抱えたままの松尾は、再び神社の外に出た。雨はまだ降り続け、紫の蝶たちはまだ舞っていた。彼はその美しい光景を見つめながら、絵画に書かれた言葉を思い出した。「紫の蝶を守りし者、祈りし者に災厄は訪れず…」
その言葉を考えながら、松尾は自分が紫の蝶を守り、祈り、その美しさを心に留めていることに気づいた。しかし、同時に彼は自分だけではなく、この街の人々もまた、紫の蝶を恐れず、その美しさを認識していることに気づいた。
そうだ、この街の人々も紫の蝶の存在を知り、その美しさを称えていた。街の中心に位置する神社は、紫の蝶を祈り、守る場所だったのだ。彼らもまた、災厄から逃れることができるはずだと松尾は思った。
だが、その時、彼の頭の中に一つの疑問が浮かんだ。なぜ紫の蝶が今、この街で舞っているのだろうか?なぜ紫の蝶は、恐怖を忘れ、その美しさだけを記憶した人々の前に現れたのだろうか?
その答えを求めて、松尾は再び神社の中に戻った。神社の中を探し始めた彼は、祭壇の下に隠された小さな部屋を見つけた。その部屋には、古びた書物と、紫色の蝶の形をした小さな鍵が置かれていた。
その鍵を手に取り、書物を開くと、そこには紫の蝶の秘密が書かれていた。「紫の蝶は、人々の心の中に存在する恐怖と美しさを映し出す鏡である。人々が紫の蝶を恐れ、その美しさを忘れたとき、紫の蝶は再び姿を現し、人々に試練を与える…」
松尾はその言葉を読み終え、深く考え込んだ。
…
人々が紫の蝶の美しさだけを見て、その恐怖を忘れてしまったからだ。紫の蝶は、その美しさと恐怖の両面を人々に思い出させるために、再び姿を現したのだ。それは試練であり、同時に人々の心に残る記憶として紫の蝶が存在し続けるための方法だった。
松尾はその真実を知り、彼の心は一つの決意で固まった。彼はこの街の人々に、紫の蝶の美しさと恐怖を再認識させ、街全体で紫の蝶を祈り、守ることを提案することにした。
翌日、松尾は街の中心広場で、人々に紫の蝶の真実を語った。驚く人々、疑う人々、しかし彼の言葉を信じてくれる人々もいた。その日から、街の人々は再び紫の蝶を祈り、守ることを始めた。
数日後、松尾が再び神社を訪れたとき、紫の蝶は舞っていなかった。だが、彼の心には安堵と喜びが満ちていた。なぜなら、彼は紫の蝶の試練を乗り越え、街の人々が紫の蝶の美しさと恐怖を再認識し、紫の蝶を祈り、守ることを始めたからだ。
そして、その日から、紫の蝶は「幻の蝶」としてではなく、「祈りと守りの蝶」として、この街の伝説として語り継がれていった。街の人々は紫の蝶を恐れることなく、その美しさを心に留め、祈り、守ることを忘れなかった。
それは、紫の蝶の試練が終わった証だった。そして、紫の蝶は再びこの街に現れることはなかった。しかし、その存在は人々の心に深く刻まれ、その美しさと恐怖は語り継がれ、紫の蝶は永遠にこの街の記憶として残ることとなったのだ。
コメントを残す