暗い夜の中、雨が降っていた。傘をささずに歩く一人の男がいた。彼の名前は田中、都会の喧騒から逃れるように田舎の閑静な地へと引っ越してきたばかりの男だった。この田舎町にある小さな駅、それが「きさらぎ駅」だ。
田中は早くもこの地に馴染むことができず、その日も夜遅くまでバーにいた。最終の電車の時間を見計らい、彼はきさらぎ駅へと向かった。
駅に到着した田中は、ほとんど乗客のいないホームに足を踏み入れた。雨が降る中、彼の頭上を照らすのはただひとつの薄暗い駅灯だけだった。ホームの端には、まだ見ぬ「きさらぎ駅」の名を示す看板があった。
時刻表を見た田中は、驚きとともに混乱した。最終電車の時間が過ぎているはずなのに、まだ一本電車が来ると書かれていた。しかし、田舎の駅だからと思い込み、田中はその電車を待つことにした。
しばらく待つと、遠くから電車の音が聞こえてきた。しかし、それは普通の電車とは違う、何とも言えない不気味な音だった。電車が近づくにつれて、音は大きくなり、ホーム全体が揺れ始めた。
その時、田中は自分だけが時間が止まったような感覚に襲われた。電車がホームに入ってくると、田中はその電車が通常の電車とは違うことに気づいた。その色、形、窓の中の光景、すべてが彼の知っている電車とは違っていた。
田中は戸惑いつつも電車に乗り込んだ。そして電車の扉が閉まると同時に、きさらぎ駅のホームは彼の視界から消え去った。田中はそのまま、きさらぎ駅から消えた。
…
田中が行方不明になったと知ったのは、彼の友人である佐藤だった。何日も連絡が取れない田中を心配し、彼の家を訪ねると、自宅には田中の姿はなく、日常生活を送る痕跡もなかった。
佐藤は、田中が最後に訪れたというバーへ足を運んだ。そこで彼は、田中が最後の夜、きさらぎ駅へ向かったことを聞き出した。心配になった佐藤は、きさらぎ駅へと向かった。
きさらぎ駅に到着した佐藤は、田中が見たのと同じ看板と時刻表を目にした。しかし、時刻表に書かれていた最終列車の時間は、まだ来ていなかった。怖さと興奮が入り混じった心情で、佐藤はその電車を待つことにした。
やがて最終列車の時間が来ると、遠くから聞こえる電車の音が響いてきた。その音は普通の電車とは異なり、どことなく不気味な響きだった。電車が近づくにつれて、佐藤はその異様な音とホームの揺れに戸惑った。
電車がホームに到着すると、佐藤はその電車が普通の電車とは違うことに気づいた。だが、行方不明になった友人を探すために、佐藤は恐怖を抑えて電車に乗り込んだ。
扉が閉まり、電車が動き出すと、きさらぎ駅のホームはすぐに視界から消えた。そして、佐藤もまた、きさらぎ駅から消え去った。だが、佐藤の目的はただ一つ、友人である田中を探し出すことだった。
…
電車は闇夜の中を走り続けていた。車内は無人で、窓の外には何も見えなかった。佐藤は自分がどこに向かっているのか、どれくらい時間が経ったのかさえもわからなかった。
突如、電車が止まり、扉が開いた。佐藤が下りると、目の前には見知らぬ駅が広がっていた。その駅には、思いがけずも田中の姿があった。
田中は驚きつつも佐藤に話した。この駅は時間と空間から切り離された場所で、普通の手段では出られないと。だが、田中は一つの方法を見つけていた。それは、自分以外の人間がこの駅に到着することで、彼らが一緒に出ることができるというものだった。
佐藤は田中の言葉を信じ、一緒に電車に乗り込んだ。電車が動き出すと、見知らぬ駅は視界から消え、その代わりにきさらぎ駅のホームが現れた。二人は電車から降り、ホームに立つと、普通の電車の音が聞こえてきた。
きさらぎ駅のホームに戻った二人は、一安心した。しかし、田中はきさらぎ駅の最終電車について、二度と語ることはなかった。
その後、きさらぎ駅の最終電車についての噂は広まり、多くの人々がその存在を確かめようと駅を訪れた。しかし、誰もが見る時刻表は、いつも通り最終電車の時間が既に過ぎていたものだった。そして、田中と佐藤のように消えてしまった者は二度と現れなかった。
それから何年か後、きさらぎ駅は都市伝説として語り継がれることになった。その伝説の中には、深夜の最終電車に乗ると、二度と戻れない神秘の駅へと運ばれるという話が含まれていたのだった。
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