都会の喧騒から離れ、緑豊かな公園でのんびりと休憩を取っていた古賀。彼は地元出身の若き建築家で、近くの再開発プロジェクトに携わっていた。彼が手にしていたのは一枚の古い地図。地元の図書館で見つけたものだ。なぜか彼の目を引いたこの地図には、未だ建設中の環状七号線のルートが詳細に描かれていた。
古賀はこの地図を眺めては、現在の建設状況と照らし合わせてみた。そして、ある日、地図に書かれた特異な符号に気付いた。それは彼が学んだすべての建築記号とは異なる、未知の符号だった。何のための符号なのか、一切の説明がない。しかし、その符号が記されている場所は一つだけ。それは環状七号線の高架部分だった。
地図の謎に魅せられた古賀は、自らの足で現場に出向くことを決意した。環状七号線の建設現場へと向かい、身分を明かすと、彼は現場監督から高架部分の設計図を見せてもらうことができた。しかし、そこには先ほどの地図に記された謎の記号は一切なかった。監督に質問を投げかけてみても、「特に変わった設計はない」との答えしか返ってこない。
だが古賀は諦めなかった。彼は何日も何日も現場を訪れ、設計図を見つめ続けた。そしてある日、設計図の一部が地図に描かれた未知の符号と奇妙な形状の一致することに気付いた。それは高架橋の基礎部分だ。通常の高架橋よりもはるかに頑丈に設計されており、その耐荷重は一体何を意味しているのか。
思索を巡らせる古賀の頭に、ある仮説が浮かんだ。この頑丈な構造は、軍事転用が可能な設計だとしたら…?
…
古賀の仮説は彼を驚愕させた。しかし、一度浮かんだ仮説が彼の頭から消えることはなかった。高架の頑丈さ、未知の符号、そして地図と設計図の一致。これらの一つ一つが彼の仮説を裏付けるように思えた。彼はさらなる調査に乗り出すことを決意した。
彼がまず向かったのは、地図を見つけた地元の図書館だった。建設計画についての資料を一つ一つ丁寧に読み解いた。そこで彼が見つけたのは、環状七号線の建設計画が立ち上がった時期と、国が始めた一連の防衛強化策の開始時期が一致しているという事実だった。
次に彼が向かったのは、建設会社だった。彼は機転を利かせて、自身が建築家であるという事実を隠して、会社に勤めるエンジニアから情報を引き出そうとした。そこで彼が得た情報は、環状七号線の建設には異常に厳密なセキュリティが敷かれているというものだった。
更に彼が接触を試みたのは、元自衛隊員だった。彼は自身の仮説を打ち明け、自衛隊員から何か情報を得られないかと試みた。元自衛隊員は初めは困惑していたが、彼の真剣な眼差しを見て何かを思い出したのか、一言、”有事法制”という言葉を口にした。
有事法制とは、戦時になった場合や重大な災害が発生した場合に、平時とは異なる法律が適用される制度のことだ。これを聞いた古賀は、環状七号線が有事法制下で軍事転用される可能性があるという新たな仮説を立てた。
しかし、仮説はあくまで仮説。それを確信に変えるには、もう一つ確固たる証拠が必要だった。彼はその証拠を求めて、再び環状七号線の建設現場へと向かうのであった。
…
再び環状七号線の建設現場を訪れた古賀は、再び現場監督に設計図を見せてもらった。しかし今回は違った。彼の視点は高架の構造から少しズレ、その下の部分に向けられた。そこには、通常の道路建設には見られない異様な広さの空間が確保されていた。それは一体何のためだろうか。彼はその疑問を抱きつつ、設計図を細かく見ていった。
その時、彼は一つの異変に気付いた。それは設計図の一部が意図的に曖昧に書かれているように見えたのだ。詳細な設計図なのに、この部分だけは詳細が省かれ、大まかな形状しか描かれていなかった。それが何を意味するのか、古賀はすぐには理解できなかった。
しかし彼は諦めなかった。彼はその設計図を何度も何度も見つめ、その意味を解き明かそうとした。そしてついに、彼はその答えに辿り着いた。設計図の曖昧に描かれた部分、それは環状七号線の高架下に設けられた広大な空間と一致していた。
彼はその空間が何のためにあるのかを理解した。それは戦車が走行できるようにするためだ。通常の道路では戦車の大きさや重さを支えることはできない。しかし、この高架下の空間ならば、それを可能にするだろう。
古賀の仮説は確証へと変わった。環状七号線は、戦時になった際に戦車が走行できるように設計されていた。そして、その設計は一般人の目からは見えないように、巧妙に隠されていた。
彼の発見は驚きだったが、同時に彼は深い憂慮にも陥った。なぜなら、このことは公にはなっていなかったからだ。国民が知らないところで、何が進行しているのか。その真相を解き明かすため、彼は次なる行動に移ることを決意した。
…
彼の求道は、ここからが本番だった。古賀はその真実を暴くため、全力で行動を開始した。まず、彼は地元の新聞社へと向かった。環状七号線の記事を書くための情報収集だと称し、自身の発見と仮説を伝えた。
しかし、新聞社の反応は鈍かった。そんな大胆な仮説、確たる証拠がなければ報じることはできない。それでも古賀は諦めず、他のメディアへと情報を伝え続けた。社会の反応はまちまちだったが、彼の話を信じてくれる人々も少しずつ増えていった。
同時に、彼は政府への問い合わせも試みた。しかし、そこから得られた答えは曖昧なものばかり。彼の疑問に対する明確な回答は一つも得られなかった。それどころか、彼の行動は次第に監視の対象となっていった。
古賀はついに、国会議員に直訴することを決意した。彼の地元選出の議員に、環状七号線の事実を訴えた。しかし、その議員もまた驚き、そして疑問を抱いた。それでも古賀は諦めなかった。議員に対して、真実を探求するように強く訴え続けた。
そしてついに、その努力が実を結んだ。議員は環状七号線の事実について、国会で質問を行うことを約束した。それは小さな一歩だったが、それは古賀にとって大きな前進だった。
真実はまだ明らかになっていない。しかし、古賀の行動は、都市の下に隠された秘密に一縷の光を投げかけた。彼の行動は、都市伝説の誕生を超え、都市の真実を問い始めた。
そしてその日から、古賀の名は都市伝説の語り部として語り継がれることとなった。環状七号線の秘密、戦車が走行できる高架の存在。それは巨大都市の中に眠る伝説となったのである。
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